イギリス人のとんでもない衛生観念について

イギリスに暮らし始めて、それまで当然そうであろうと期待していた姿と現実とのギャップの大きさに愕然とするのは、公共の交通機関の実態と、イギリス社会における衛生観念だと思う。一言でくくれば「イギリスを先進国だと思ってはいけない」ということにつきる。誇張ではなく本当に。
日本がきれい好きすぎるのだとか、電車が数分遅れただけで怒るなんて日本は異常だとか言う人もいる。けれども、きれいで結構、電車がオンタイムで信頼できるなんて良いじゃないですか。
今日は、それほど表立って語られることのない「汚いイギリス」について物申したい。
(このテーマについては、私が敬愛してやまないMethaさんのウェブサイトにても熱く語られているので、ぜひ読んでみてほしい。http://pws.prserv.net/metha/waste.htm
先週金曜日、ウェストミンスター駅から地下鉄に乗った所長と私は、車内に一歩足を踏み入れて唖然とした。あまりのゴミの散乱ぶり。かなり慣れたとはいえ、乗った瞬間ひるむほどの散らかりようは久しぶりだ。あのディストリクトラインの木の床一面や座席や座席の後ろのちょうど物を置くには適当なスペースの上に、新聞紙、チラシ、サンドイッチが入っていたプラスチックの入れ物、ポテトチップスの空袋、空きペットボトル・・・。そして当然ながら誰も見て見ないふりだ。無表情のまま、ゴミをまたいで歩くか、座りたい場所からゴミを払い落として座る。
昨日乗ったバスではリンゴを食べて残った芯が床に転がっていたし、荷物置き場には飲みかけ(?)のスターバックスカップが置き去りにされていた。フィッシュ&チップス(にかけたビネガー)の強烈な残り香や床に散乱し踏みつけられてベチャっとなったポテトフライの話は以前書いた。そしてそんな環境でもサンドイッチやらパックのサラダを食べ、新たなゴミを増やす人たち。平然とものを食べ、どんな匂いを振りまこうと意に介さず、ゴミを捨てる、その行為のすべてが、そういうことのできる神経が、まったく理解不能だ。
乗り物だけではない。道路だってゴミが多い。タバコのポイ捨ては当たり前、「ガムは噛んだら紙に包んでクズかごへ」なんて夢のまた夢、道路に捨てられたかつてはガムだった物質が、今や水玉模様になってアスファルトに刷り込まれているし、そうでなければ壁やポスターに貼り付けられる。信じがたいことに、地下鉄駅のエスカレーター沿いに貼られたポスターの多くが、いたずら書きの代わりにいたずらガムの被害にあっている。こういうことをするためには、手でガムを口から取り出し、ひきちぎり、動くエスカレーターから横のポスターにピッとくっつけるわけである。その手でエスカレーターや車内の手すりもさわるだろう。あぁ、それ以上考えたくない。
なんでこんなにガムを捨てるんだろうと常々憤慨していた私だが、その疑問が少し解けたことがある。ある日ガムを一箱買った。開けてみて驚いた。ガムが包装紙に包まれていない。だから噛み終わってもティッシュや紙切れを持っていなければ、そのまま捨てる確率が高い。こんなガムを売るから悪いんだ!
そんなにゴミが捨てられるなんて、ロンドンにはゴミ箱がないの?と思うだろう。いや、ロンドン市内は意外なほどゴミ箱が至るところに存在する。例えば私の職場から最寄駅までのたった200メートルほどの間には、ゴミ箱が4つくらいはある。それなのに!この有様である。
外のゴミはこれくらいにして、家の中へ入ろう。こちらの人のお皿の洗い方は日本人の想像を絶する。何がって、私たちの感覚で見ると、圧倒的にすすぎが足りないのだ。昔ながらの典型的な洗い方は、洗剤を溶いた水の入った桶にお皿をざぶんと入れ、ちょっとゆすってみたりして、取り出し、水を切って、はい、おしまい。え?何それ?でも本当である。洗剤のおかげでやたらとつやつやしているのに、よく見ると汚れがついたままの食器やカトラリーのなんと多いこと。考えたくないが食事の時は食べ物と一緒に洗剤も口に入れているのだ。最近は食器洗い機も普及してきているのでまだましかもしれないが。でも私は職場の台所(食器洗い機はない)でも、人が洗ったものはもう一度自分で洗いなおしてから使うことにしている。もちろん日本人らしく水をたっぷりつかってゆすぐ。一度、同僚が洗いものをしているところに遭遇した。若い男性なのだが、ゆすぎは熱湯をさっとかけるだけ。「い、いつもそうやって洗うの!?」と聞くと、「うん。熱湯のほうがきれいになるような気がするから」と言う。多少わからないわけではないがまったく不合理な理由だ。
それに一日の終わりに台所に行くと、流しには洗い物がたまっている。食べ物の屑も散乱している。見ただけで疲れが倍増する光景だ。自分が使ったものを洗う人のほうが少ない。
これには理由がある。洗い物もそうじも、契約した清掃業者が毎日やってきて片付けることになっているからだ。この国では、学校でも職場でも公共の空間でも「掃除は掃除をする人の仕事だから自分はタッチしない」という認識が一般的だ。学校で生徒がそうじ当番をするなんてあり得ない。それはお掃除のおじさん・おばさんの仕事だからだ。そういう風に育っているから、どんなところでゴミを捨てても、掃除するのは誰か他の人の仕事で自分は関係ないという感覚でいるに違いない。だからゴミを捨てる罪悪感もない、に違いない。
でも日本の学校のそうじ当番、あれは非常に重要だと思う。どんなに不真面目でだらしない人が増えているとはいえ、公共の空間はみんなできれいに保つもの、という感覚が自然と養われるのではないだろうか。日本万歳!ロンドンがオリンピックにむけていくら町をきれいにしたくとも、学校教育を変えて人々の認識を根底から変えない限り、いつまでたっても解決しないだろう。