中高教員グループ、日本へ

基金が実施している様々なプログラムの中に「中高教員招へい」というものがある。主に社会科や地理を中学・高校レベルで教えている先生や、そうした先生たちが使うカリキュラムを作る教育省の担当者を2週間ほど日本に招待し、日本を直接体験してもらう。体験してもらうことによって、日本に対する知識と愛情を深めてもらい、帰国後授業を通じて生徒たちにそれを伝えることで、日本ファンを増やそう、という趣旨である。基金設立直後からずっと続いている長寿プログラムだ。
イギリスも、今年は5名という枠が与えられ、4人の現役の教員と、日本に関する教材の開発や提供を仕事としている非営利団体の職員1名を来月派遣することになった。そのチームに対するオリエンテーションを、この日実施した。自己紹介の時間では、誰もが「日本企業がある町ということもあり、日本についてもっと教えたい」「自分が教えている国を直接知らないことに対する負い目があった」と率直な思いを話してくれた。
社会科の先生はカリキュラムの一環として日本を扱っているが、日本に行ったことのない人は当然ながら多い。もちろん訪日の経験がない人を優先して採用している。社会科(地理)のカリキュラムの中で、日本はどのようなかたちで登場するか?どうやら最近のトレンドは『地震』。とりわけ阪神・淡路大震災らしい。たしかに地震は多いけれど、日本といえば地震、という印象だけが子供たちの中に残ってしまうとしたらなんとも残念だ。教科書には書かれていない日本を少しでも多く吸収してイギリスに持ち帰ってほしい。
オリエンテーションとしてやることは、日本の教育システムや文化一般に関する講義ではなく、旅の準備のためのとてもプラクティカルな情報の共有が中心だ。そのためには経験者に話してもらうのがいちばん、ということで、前年参加した人に来てもらってレクチャーをしてもらっている。今回来てくれたShellyさんは、昨年撮ってきた写真(他の先生からもらったものを全部あわせると、なんと2500枚もあると言っていた!今回はその中のごく一部)をスクリーンに映して見せ、プログラムをかいつまんで説明しつつ、自分の経験を話してくれた。
プログラムは東京の基金本部で始まり、文科省のお役人による日本の教育制度に関する講義、京都・広島見学、地方都市に滞在して学校(小中高をひとつづつ、計3校)見学や旅館宿泊体験やホームステイなど。限られた時間の中で、日本初訪問の人が効率良く色々なものを体験できるギリギリの日程が組まれている。かなり忙しい日程だ。
Shellyさんがそうであるように、何人かの先生は日本で訪問する学校との姉妹校提携や、そこまで行かなくとも授業での交流を継続することに関心を持っている。また、これは個人的な感想かもしれないが、日本から帰国後、気持ちも新たに仕事に取り組むことができた、教壇に立つ熱意が充電されていた、これはまったく予想していなかったがうれしい発見だった、と言っていたのが印象に残った。
これから渡航する先生たちからは、用意すべき服装、荷造りのポイント、おみやげはどうしたらいいか、お金はどのくらい必要か、ネットのアクセス、といったことに質問が集中する。一昨年の参加者で去年オリエンテーションに来て話してくれた先生は、わざわざFAQを作ってくれたのだが、Shellyさんもそれをもとにペーパーをまとめてくれた。話を聞いていて、なるほどそういうことが知りたいポイントなのか、と気付かされることも多い。例えば「カード決済が日常的な英国と比べ、日本は現金社会である」「ホームステイで外国人を受け入れるのは日本人にとっては特別な出来事」「とにかく日に何度も靴を着脱するので編み上げの靴はやめたほうがいい」「日本人の服装は、特に仕事中の人は、概して英国人に比べてスマート(=きちんとしている)」「学校や企業を訪問すると、必ず『あいさつ』をすることになるので、『こんにちは、私たちは20カ国から集まった学校の先生です』等の簡単な文章を頭の片隅に入れておくといい」などなど。
出発は11月中旬。できる限りの良い体験をしてきてほしいと、願ってやまない。

このプログラムの参加者は、まず例外なく、いかに日本ですばらしい体験をしたか、関係者が一生懸命世話をしてくれたか、おんぶにだっこの良いことづくめの旅だったかを、言葉を尽くして話してくれる。そうした感想を聞いて、必ず私の記憶に甦るのが、入社2年目の自分が地方視察に随行した時のグループの中にいた、ラオス人の女性の先生のことだ。彼女はあまり英語が得意ではなく、もともと控えめな性格もあってなのか、いつも遠慮がちな人だった。そんな彼女の心をほぐそうと、私なりにも努力した(つもりだが、今となっては20代前半の自分に何ができたか甚だ疑問でもある)。旧仏領インドシナの出身であることから、英語よりもフランス語のほうが話せるとあって、同じグループのフランス人女性の先生といちばん仲が良かった。だが、おそらく長期の海外旅行も初めてに近かったのではないだろうか、だいぶ緊張してストレスも溜まっていたのだろうと思う。彼女は地方視察の途中から体調を崩し、ふさぎこみがちになり、そしてある日の昼食後、昏倒してしまった。黒い目をこちらに向けたまま意識を失っている彼女を見た瞬間の、身も凍る感覚を、今でも思い出す。すぐに意識は回復してくれたのだが、そのままグループと別れて一緒にお医者さんへ行った。言葉の通じない国で体調を崩し、病院に行くということほど心細い時はないだろう。せめて彼女の言いたいことをできるだけ正確に理解してお医者さんへ伝えること、彼女の不安が少しでも減るようそばにいること、そんなことを自分に命じながら、診察室で横たわる彼女の手を握っていたことを思い出す。
彼女は、日本での経験をどのように生徒たちに語っているのだろうか。