ガイ・フォークスの日

今日は『ガイ・フォークス』のbonfire night。前の日の晩と今晩は、町の至るところで花火があがる。
家から南へ徒歩5分ほど行くとテムズ河畔に出る。ちょうど対岸にあるバタシー公園が花火大会のひとつなので、見に出かけた。公園に入ると今日は入場料を取られるらしいので、あえて対岸から。
午後7時半開始予定なのだが、7時頃から外でバン!バン!と花火が上がる音がしてくる。どうやらあちこちで花火を上げているらしい。花火の音を聞くとどうにもそわそわしてしまい、少し早いが7時過ぎに家を出て川を目指す。同じ方面に向かって歩く人がけっこういる。オークリー通りを下ると、年中ライトアップをしていてきれいなアルバート橋につながり、橋を渡ると左手がバタシー公園。そのせいかオークリー通りから橋に向かう車も大渋滞。けやき通りがイルミネーションをつけていた頃のクリスマスの青山界隈のような渋滞ぶりだ。
さて花火は・・・・・なかなかなかなか始まらない。例によってというべきか。日本の花火大会なら開始が10分でも遅れたら苦情が出かねないところ。みんなのんびりおしゃべりしたり花火をつけたり(ちょっと危ないんちゃう?)飲んだり食べたりしながら待っている。今日はわりと暖かいとはいえ、川沿いはやはり風が少し冷たい。このまま9時とか10時まで待たされたらどうしよう、あとどのくらい待ったらあきらめて帰ろうか・・・と思いつつ、対岸の他の場所からあがる花火を見て退屈を紛らわす。
ついに始まった時には周囲からも歓声があがる。時間は8時15分・・・。1時間近く立ちっぱで待っていたのか・・・。まぁ、それでも思っていたよりは豪華な上げっぷりだった。日本の花火大会に比べたら数も種類も少ないと思うが、それでもなかなか見応えはあるほうだ。イギリス人もなかなかやるな。ドンと上がって開いた火花があちこちに飛び回る花火があるが、あれがとりわけ観客に受けていた。30分近くやって、いかにもフィナーレ!といわんばかりに一度に大量に上がり、それで終わった。
現在午後11時過ぎだが、この時間になってもまだ近所のあちこちで散発的に花火があがっている。今ちょうど部屋の窓から上がっているのが見えている。

ところで、なぜ11月のこの時期に花火か?
女王エリザベス1世の時代、プロテスタントである女王によってカトリックは迫害されていた。17世紀初頭、エリザベス1世の死後、カトリック教徒13名が共謀し、国会議事堂地下に弾薬の入った樽36個を密かに隠して議事堂爆破を企てた。今で言うならテロリスト集団だ。成功すれば、カトリック教徒を虐げる国王や国会議員らを抹殺することができる。しかしこの計画は事前に国王側の知るところとなり、1605年11月4日深夜、計画実行の直前、軍は地下室を急襲。弾薬と、その場にいたグループの一員であるガイ・フォークスが取り押さえられ、計画は未然に終わった。ガイ・フォークスと他の実行犯は逮捕され、拷問の後、2年後に公開死刑になった。ちなみにグループのリーダーはロバート・キャッツビーという人で、ガイ・フォークスではない。
災難が未然に防がれ、国王が無事であることを祝って、その日のうちにbonfire(ボンファイアー=かがり火)がたかれたという。以来、11月5日は、事件を記念してかがり火を焚き花火をあげるbonfire nightとすることが伝統になった。(かがり火でガイ・フォークスなどをかたどった人形を焼くことと花火がセットらしいのだが、今では花火の方が盛大で、私は前者のほうはまだ見たことがない。)
この爆破未遂事件は、11月5日のbonfire night以外にも今日に至るまで影響を及ぼしている。国王(女王)は年に一度だけ、国会の開会式のために議事堂に入るが、この時に衛兵が地下室の点検を行い、それを女王が見学するという儀式が、今も毎年実行されているという。
このサイトは英語だがガイ・フォークスについてとてもわかりやすく説明している→Guy Fawkes and Bonfire Night
なお、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』で、出版社を辞めTVレポーターとなったブリジットが消防署中継の最中に大ヘマをやらかすシーンがあるが、テレビ局でキューを送るディレクターが「It's the bonfire night and we're on fire!」というような台詞を言っていたと記憶している。あのシーンは11月5日という設定なのだ。