地下鉄の中で

朝、地下鉄に乗ると、ドアの脇に東洋人の小柄な女性が立っていた。横には小型のバギーと、中で眠る子供。なんか日本のバギーっぽいなぁと思い、改めて女性を見ると、ミキハウスのウェストポーチ。あぁ、この人は日本人なんだな。
しかし日本のバギーって華奢に見える。こちらのバギーはだいたいもっと大きくて頑丈そうで、二人乗り用もめずらしくない。そして親たちはそれを押しながら町を闊歩し、交通機関にもずんずん乗り込んでくる。どんなに道路や店内や車両が混雑していようが、もうお構いなしに、というより素手(?)の時よりもいっそう偉そうな顔をしている。邪魔かしら?迷惑かしら?なんて遠慮は微塵も感じさせない。子供は大切にされるべきだとは思うけれど、私には親のこういう態度が傲慢に思えてうんざりすることもある。
さて、お母さんは疲れているようで、ドア横にもたれたまま目をつぶっている。ふと車内の別の方角を見ると、奥の座席に座って日本語情報誌を読みふける東洋人男性の姿が。男性の膝の上には3〜4歳の男の子。あら、このドア横の女性&赤ちゃんと、あの座ってる男性&子供は、家族なのかしら、と思っていたら、ちっともかまってくれないお父さんに愛想をつかした男の子がお母さんのほうにやってきた。
お母さんとしては、バギーと赤ちゃんから目を離すわけにいかず、かといってバギーを席のある奥のほうまで押していくわけにもいかず(こちらの地下鉄の座席間の通路は人ひとりがやっと通れる幅しかない)、ここに立つことにしたのだろう。そしてお父さんに席を譲ってあげたのだろう。これって日本的にはまだまだ普通なのかなぁ。
でも!平然と情報誌を読みふけるお父さん、ここはあなたがバギーの横に立ち、お母さんを座らせてあげるべきなんじゃないの?と思う私は、すでにイギリスの影響を受けているのかもしれない。